マッケンジー先生自叙伝:Against the tide 38   | 尼崎市杭瀬駅2分!マッケンジー法なら中野整形外科・運動器リハビリテーションクリニック

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マッケンジー先生自叙伝:Against the tide 38  

亡き親友のためにひと肌脱ぐマッケンジー先生、

世間様から理解が得られんというのは、いま現在の、東洋のどこぞの国でも同じ状況なのかも、、

 

 
60年代半ばに親友のKeith Ritsonが病に倒れて、人生の最後の数年間を呼吸を補助する酸素ボトルを提げて生活せんならんようになりました。
政府との診療報酬交渉を変わりに引き受けてくれへんかと頼まれて、6年超しに交渉を進めましてん。
政府の助成なしで私立のクリニックが独自の診療報酬を決められる、いうような快挙も成し遂げたんですわ。

1970年にKeithが亡くならはってから、奥さんのNoelineが夫のクリニックをどうしたもんか私のとこに相談に来はりました。
なにしろ患者さんがギョウサンいたはるので、アルバイトの理学療法士を雇って一時はしのいどったみたいなんですわ。
その理学療法士が今が狙い目や、思わはったんでしょうかなあ、クリニックをまるごと3000ドルで買いたい、言うてきたらしいんです。
Noelineからクリニックの価値を訊かれたんで、4000-5000ドルの価値がこの地域の相場やから安売りしたらあかんで、と伝えましたんや。
彼女もがんばったみたいやったですけど、癇癪おこしたその理学療法士が、患者さんには何の処置もせんようにするで、なんや脅してくるのやそうなんですわ。
Noelineに、ほんなら私がクリニックを5000ドルで買うさかい、そいつに引導渡しなはれ、て言いましてん。
Keithのクリニックを経営してくれはる人を私が捜し出して、全てが丸う収まりましたわ。
Noelineには看護師兼受付嬢として、うちのクリニックを手伝ってもらうことにして、以来15年にわたって助けてもろてます。
1960年代を通して、患者さんの体にその場ですぐにエエ変化が出てくるいうことが、ごく当たり前の出来事になってきていました。
診る患者さんがそれぞれ、あまりにもうまいこと治っていきますもんで、椎間板理論にも自信が持てますわな。
他のセラピストらに治療の有効性を示す一番エエ方法は、ナマの患者さんを見せることやと思いますねん。
そやけど、うちのクリニックまで見学に来よか、いうようなセラピストはおらへんでしたしね。
地域のセラピストが興味もって勉強してくれはったりせえへんかと期待してはいたんですが、ニュ-ジ-ランドには整形外科の先生方の中でも興味もってくれはる人やとか、研究しよか、いうてくれるような人らはおらへんかったんですわ。手術しか眼中にない、いうことなんでしょうかなあ。
下肢に痛みがある、いうて訴えてはる患者さんの症状が、腰に移動してくることは特別珍しいことやないなんて言おうものなら、とたんに変なこと言う奴扱いされるんですわ。
世間さまはまだ私の言うことに耳を貸そうとはしてくれはれへん時代ですんで、1968年にニュ-ジ-ランド整形外科学会が年次集会の場に、私へ講演を依頼してくれはったのには面くらいました。
あまつさえ、タウポ湖の南湖畔にある豪華なリゾ-トであるThe Chateauに部屋を用意してくれ、また旅費も負担してくれはる、いうんです。
一も二もなく、ありがたくお招きは受け入れさせてもらいましたし、私の話を聞いていただけるんやっちゅう絶好の機会にワクワクしてました。

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