マッケンジー先生自叙伝 Against the tide:17  | 尼崎市杭瀬駅2分!マッケンジー法なら中野整形外科・運動器リハビリテーションクリニック

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マッケンジー先生自叙伝 Against the tide:17 

ややこしいことを何とかしようとするのなら、当たり前のことを普通にやっとるだけではあきまへんで、という箴言、いただきました。

今回でマッケンジー伍長の活躍は終了。そして理学療法士としての活躍が始まります。

では師匠、どうぞ、、、

 

 

私らが隊列行進することになる前の晩に、4週間の士官訓練コースに私が選ばれて、すぐにコースに入るようにいわれました。さらに病院へ戻るのが遅れることになるのやったら、こらアンドリューさんはなんて言うやろか、と思て病院へこわごわ電話してみました。そのとき彼女は電話には出られなんだので少しほっとしつつ、伝言を残しました。病院へ戻るのが遅れたり、仁義を欠くようなことをしてしもたらシルバーストリーム病院での私の立場や、アンドリューさんと今後、うまくやっていくことは難しいやろうし、不幸な結末をたどらなんだらエエんやけどなあと心配でしたわ。

士官訓練コースが終われば、2等中尉に昇進できるんで、私は第二総合病院の軍医療本部へ申し込みの手紙を書きました。そのあとで、毎年2週間の訓練を受けることが決まり、年一回あるこの訓練は、さながらシロウト兵士が空想で戦争のマネゴトをする機会と相成りました。仕事を普通にしておる間の、ちょっとした息抜きくらいにはなりそうなもんでしたな。病気の状態を演技して、それを治療する訓練をしたりするようなこともありました、まあ半分あそびみたいにやったりもしてたんですが、ある部隊など、、、うまいことイメージふくらませてやりよるんですが、ケガで体を動かしにくそうにしてたり、麻痺している状態なんかもうまいこと真似しよる奴らもおりました。ある兵士なんかは、倒れたあとにあんまりうまいこと麻痺しとるようなフリをしよったんで、ホンマに病院に運ばれそうになって、突然の奇跡の回復をみせるような一幕もありましたわ。

訓練がつづくなかで、兵舎での共同生活をしていると、学校の寄宿舎で過ごした日々やら十人一部屋での生活を想い出しました。数週間を一緒に暮らして、訓練でも休暇でも同んなじ経験を分かち合うて、友情をはぐくんだんです。それから、ずっと長い付き合いになってますなあ。同期のウォーレン、アウスタッドやらは今でもよく会う親友ですわ。私らはよう一緒に遊んだもんでした、、、ヨットやゴルフ、果樹園なんかを造ったこともありましたなあ。ウォーレンは兵役のあとで医療の研修を終え、留学経験も積んでからウェリントンで開業しました。

軍隊生活からの付き合いをしてる他の友人いうたら、グラエム・ロウもそうですわ。グラエム、ウォーレンと私は生涯つづく友情で結ばれてますんで、いまではそれぞれの奥さんを連れて一年に一回は夕食を共にして、軍隊でのことなんかの昔話に花をさかせてます。

初期訓練のあと、グラエムは国防義勇軍に入って法学の学位もとった。1964年に正規部隊の士官として入隊し、大佐になったときにディフェンス法律相談所の所長に就任しよりました。

軍隊や、理学療法士として働く中で多くの人々と出会い、友情をはぐくんできました。

ウェリントンでの修業時代は循環器内科医のマーシャル・ルーク先生によく腰や頸に問題のある患者さんを紹介してもらいました。循環器内科医のポンティー・ホールライト先生やリウマチ医のムーア・ツウィード先生、外科のエヴァン・レイン先生らからもよく紹介をもらいました。医師たちとの連携はそらもう貴重なもんでして、ウェリントンの医療関係の施設が協力しあうきっかけにもなり、それはずっと今でも続いていますわ。

でも結局は私は自分の道を歩もうと思いまして、政府には感謝しつつも、軍隊の生活から、元の理学療法士の職へ戻らしてもらうことになりました。

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