マッケンジー先生自叙伝 Against the tide:2  | 尼崎市杭瀬駅2分!マッケンジー法なら中野整形外科・運動器リハビリテーションクリニック

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マッケンジー先生自叙伝 Against the tide:2 

自分の生い立ちを赤裸々に語るマッケンジー先生の自叙伝、2回目です

 

私の父の祖父に当る人は、名前をアレキサンダーといい、妻のメアリー・ゴラン・マッケンジーと一緒にスコットランドからメルボルンへ1852年に移住してきたといいます。

一家はスコットランドの荒地開拓がうまくいかず、メルボルンへ移住してきた、いうことですわ。

オーストラリアでもうまいこといかんかったんで、1854年にはフラッシュ号に乗って、ニュージーランドのウエリントン湾にあるペトロン浜に着いた。

ニュージーランドについて、マッケンジー一家は北島の南側、マスタートンに41エーカーの土地を得たのやいいます。アレキサンダーとメアリーの間に生まれた5人の子女のうち、4人はここで生まれました。そのなかに私の祖父、ロデリック・マッケンジーもおりました。私の父ロバートは13人の子供の末っ子として1888年にマスタートンから5マイル離れたフェンリッジで、ロデリックとエリザベス・ハーベイ・マッケンジーの子として生まれました。一族の多くは農業をしとりましたが、ロバートは弁護士になりました。

はるか後年になって、私のスコットランドの祖先について調べたことがありましてなあ、とても誇らしく感じたもんです。父がハイランド衣装を身につけたはるのを見たことがありまして、キルト姿でパイプを吹く姿が輝かしくみえたのを思い出しますなあ。今になって、父からもっとスコットランドの事を聞いといたらよかったと思てます。父は何回もスコットランドに渡り、私らの祖先についてよう調べとったようでしたさかいに。国際マッケンジー協会のロゴにマッケンジー家の紋章を入れて、祖先に感謝の意を表しているような気持ちでおるんです。

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